旧フランス租界エリア・高安路からスタート
この日は旧フラン租界エリア・高安路から散歩をスタート。地下鉄駅では上海図書館駅が最寄りです。
この辺りは上海屈指の洋館エリア。
あてもなくウロウロしているだけで眼福眼福・・・
当時財をなした方たちが建てた立派な一棟建ての洋館がたっくさんあります。
この一棟だけでも自分のものだったらなんて人生ハッピーだったことでしょう・・・と思うも、
不動産価格が暴騰している上海、
この立地の洋館一棟丸ごと10億円しそうな感じなので無理無理(´・ω・`)
外階段がこんな豪華に作るなんて!すごくないですか?溜息もの・・・。
中国の歴史的な経緯により、一棟立ての洋館の多くは、かつての持ち主がそのまま住んでいるという例は少なく、
現在は集合住宅や会社の事務所として使われている事がほとんどです。
こんな立派な洋館を眺めながら、「よく幾多の歴史の風雪に耐えたね・・・」と感慨にふけったり、
建物の細かい造形を発見してうれしくなったり。
かつての主の過ごした風景や今の様子を想像力MAX1000%くらいにして考えて悦に浸ります。妄想の世界です。笑
复兴西路に佇む洋館内部が公開されていた
この日もそんな妄想劇場のさなか、アレっと思う光景が。
以前からこの洋館の存在は知っていました。
外階段がたいそう素敵で「こんな洋館に住めたら素敵・・・」と思っていんです。
この日、この洋館の前を通り過ぎた時、ここにかつて住んでいた作家・柯灵(柯霊)邸として
一般公開されていることが判明しました。
後で調べたところ、2016年オープンとのことでした。
柯霊邸
看板によると、
柯灵(柯霊)(1909-2002)
本名高季琳、広州生まれ、戸籍地浙江省紹興
中国で著名な映画論者、劇作家、評論家、中国民主促進会創設メンバー、民進中央名誉副主席、国際ペンクラブ上海センター会長等
また、この洋館については、
1933年築。スペイン式建築マンション。1959年12月柯霊夫妻が203号室に入居し、50年近く居住。柯霊邸は2階建てで、1階は柯霊氏の生前の作品等の展示、2階は寝室、リビング、キッチン、ダイニングといった柯霊氏が居住していたそのままの状況を復元している。庭には氏の胸像が置かれる。
この場所に住んだ41年間、氏は多くの文芸作品、エッセイ、小説、映画脚本などの作品を執筆し、世代を越えた多くの読者に影響を与えた。
※管理人によるテキトー訳
この洋館は一棟建てに見えていたけれど、実は集合住宅だったんだ~。
いつも外から指をくわえて、もしくはヨダレを垂らしながら見る建物の中に入れるなんて!とワクワクしながら中に入りました。
入場料はこれまたうれしい無料。そう、上海ほじくりってあんまりお金がかからない趣味なんです。
柯霊邸庭・1階
エントランスを入ると、その先に庭がありました。芝生の緑がまぶしい庭です。
なぜかお隣さんからスチームのような霧が流れてきて氏の胸像に降り注いでいました・・・なんでだろう。
1階は柯霊氏の作品や生涯を紹介する展示室。
展示室に入る際は建築保護の為、入り口に置いてあるフットカバーを靴の上からかぶせて上がる決まりです。
柯霊邸2階
らせん階段を上がると、柯霊氏がここで生活していた様子の再現コーナーです。
キッチンとダイニングのお出ましにうれしい驚き。
窓際に置かれた調味料、あれ?これそのまま!?どうして?と衝撃でした。
再現というよりも、むしろそのまま置いてあると言った趣。
ダイニング。夫婦はこのテーブルで向かい合わせで食事していたのでしょう。
リビング
続いてリビングへ。
著名な作家仲間や香港・台湾からの客人が来た際、ここでもてなし、食事をするのにもつかわれたそうです。
柯霊氏は同じく中国の有名な作家・巴金同様、文革期の激しい迫害を受けた作家でした。
氏本人は拘留され、3年間音信不通。
妻の実家は資産家階級であったため、妻も当局による追及を免れず、夫の収入も打ち切られました。
多くの書籍がある自宅リビングと書斎も封鎖され、自宅なのに使用できない状況でした。
多くの苦労をしました。妻は毎日必死で生きて夫の帰りを待つものの、耐えきれず遺書を残して睡眠薬自殺を図りました。
一命をとりとめたものの、妻はその後の心身が不安定な状態が続き、後遺症がずっと続いたそうです。
こちらのリビングには氏のコレクションで「二十四史」があります。
こちらにもエピソードがあり、
1972年、中国政府はこの書籍を上海を訪問中のニクソン米大統領に寄贈しようと計画。
上海市の職員が柯霊宅を訪ねるのですが、当時以前から身体が悪く柯霊氏の自宅に同居していた義父が自宅内で亡くなっており混乱していたため、
「二十四史」を持って行くことができずに終わったそうです。
こちらがその「二十四史」。
書斎
続いて書斎。
作家らしく、多くの書籍に囲まれた書斎です。
バスルーム
続く寝室との間にバスルームがあります。洋館らしく浴槽が完備されています。
寝室
続いて寝室です
寝室サンルームに設けられたデスク。
文革期は書斎の使用が制限されていたため、こちらの机で執筆をしていました。窓からの光が差し込み、明るいです。
文革が終わり、書斎とリビングが開放された後、
氏は文革の迫害で体を壊した妻を慮り、
書斎に専用のベッドを置いて妻の眠りを妨げないようにしていたといいます。
寝室を過ぎれば柯霊邸の見学は終了です。
共用部
共用部の内階段の美しさもためいきものです。丸窓に無造作にモップが干してありますが。
こういうところが上海の洋館っぽさを感じます。生活の場なんです。
これまで「この中はどうなっているんだろう・・・」と、憧れのまなざしをもって見ていた外階段を降りて柯霊邸を後にしました。
柯霊邸アクセス情報
■柯霊邸(柯灵故居)
所在地:上海市徐汇区复兴西路147号(复兴西路×永福路)
開館時間:9:00-17:00、月曜休館
見学無料
この建物は元々陳伯藩という、かつて日本へも留学し、駐日本大使館参事や特命全権大使も勤めた中国国民党の上級役人の所有でした。
1949年の新中国建国後、この建物はに国家財産として政府に接収され、その後、柯霊夫妻がこちらに移り住みました。
柯霊氏夫妻以外に同宅に住んでいた有名人
錦江ホテル創業者・董竹君
同時期に、中国最大ホテルグループチェーンである錦江ホテルの創業者の女性実業家・董竹君もこの建物に住んでいました。
彼女は1900年に上海のスラム街で生まれ育ち、父親から売春宿に売られるも、病気を装い脱出。
共産主義革命家と結婚し、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)へ留学もしました。
その後夫の故郷の中国四川へ戻り、商売をし、離婚し上海へ戻り、フィリピンへも行って商売をし…
と彼女だけで数記事書けそうな、大変な生涯をおくった女性です。
文革で迫害を受け自殺した女優・上官雲珠
文革時期に迫害を受け、自殺した女優・上官云珠(上官雲珠)も一時期(1951~1953年)この場所に住んでいたことがありました。
毛沢東夫人・江青から目をつけられていた彼女は取り調べを受け、無理やり「毛沢東と一緒にいた」内容の手記を書かされ、
それを証拠に審議に掛けられる直前に自宅で飛び降り自殺を図り、この世を去りました。1968年のことでした。
彼女が名誉回復を果たしたのはその10年後のことです。
と、かように、洋館の来歴を調べると数々の歴史ドラマが紐解けるわけです・・・。今回はこの辺で筆を置くことにします。